大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和39年(ラ)35号 決定 1964年4月10日

抗告人 藤山昌子(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人の抗告の趣旨及び理由は別紙記載の通りである。

併しながら、抗告人の申立を却下する理由は、左記の外、原審判の理由と同一であるから、ここにこれを引用する。

憲法は「男女の自由意思による結合によつて成立する婚姻は相互の協力によつて維持しなければならぬが(憲法第二四第一項)時にその男女の結合を継続できなくなる事情が発生することも人間としてやむを得なく、結合の分離としての離婚は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならぬ旨(同条第二項)」規定する。

この規定をうけて民法は、夫妻は社会の認むる共同生活の一単位として結婚生活を営む上から共通の氏をもつことが便利であるとして夫妻共通の個人の呼称としての氏の選択を許し(民法第七五〇条)、当事者の自由意思によつて成立した婚姻は、当事者の自由意思によつて解消し結合を分離することが出来るとなした(同第七六三条)。婚姻の解消は、なるべく出来る範囲で結合前の状態に復することが自然であり、婚姻の破壊に伴う社会の秩序回復に役立ち、且つ社会生活上便利であると考えられる。民法第七六七条はこの趣旨に基づいて婚姻による改氏に対し婚姻関係の解消による氏の当然復元を規定し、当事者の選択を許さなかつたに過ぎない。従つて右立法趣旨に基づく同条は憲法第二一条に反しないし、憲法違反ではない。抗告人が離婚に伴う復氏のため一時は同僚、生徒に対し気をつかい、離婚に対する世間の批判が生ずるのは職権取寄にかかる名古屋家庭裁判所昭和三六年家(イ)第一五五号離婚等調停事件記録に照らし、やむを得ない。抗告人主張のような事情は、抗告人の氏を変更するに足るをやむ得ない事由とは解されないから、本件許可の申請を却下をした原審判は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却すべきものとし、抗告費用は抗告人の負担とし、家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第四一四条、第三八四条、第九五条、第八九条を適用し主文の通り決定する。

(裁判長判事 県宏 判事 越川純吉 判事 西川正世)

別紙

抗告の理由

抗告人申立の趣旨は審判書記載の通りであるが原審判の理由を検するに「申立人の主張は個人的主観的の考え方が濃厚で真にやむを得ない事由とは認めることができない」とあるが原審判は氏は個人の社会的生活の便宜と個人の識別同一性認識のために存するものでありこの公共の福祉に反しない限り憲法第二一条の表現の自由あることを忘却したか然らざれはその解釈を誤つた違法があるのみでなく抗告人の申立理由は単に個人的主観的見地のみに基づくものでなく生徒に及ぼす教育効果と師弟の信頼関係に及ぼす影響の甚大なることを主張しているのであることを無視した疑がある。

家族制度を否定した新民法は結婚により夫妻の一方が他方の氏に改めたのは単なる社会生活上の便宜の上から夫婦共通の個人名を称するがためであるに過ぎない。一旦改氏し自他共に慣れた氏を止むなき事由により離婚したものに再び元の氏に復することを強制することを定めた民法第七六七条は憲法違反である。

英米法で離婚後も妻は別れた夫の姓を称せしめ結婚前の姓に復せしめないのは個人の表現の自由を尊重したからである。

(我妻栄、立石芳枝著 親族法相続法コンメルタール参照)

抗告人の申立書記載の事由により改氏せしめてもこれにより迷惑するものは全然ないのみでなく周囲のものや申立人の子の希望するところであり公共の福祉にも反しない此様な場合は戸籍法第一〇七条の氏変更につきやむを得ない事由に該当するものであると信ずる。

従つて原審判を取消し氏変更許可の御裁判を求めるため本抗告に及ぶものである。

参考

原審(名古屋家裁 昭三九(家)二二五号 昭三九・二・二六審判 却下)

申立人 藤山昌子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

本件申立の要旨は、申立人は昭和一五年一〇月二四日岡本一郎と婚姻し三女を有したが夫一郎と折合が悪く婚姻を継続しがたくなつたので、昭和三六年三月三日名古屋家庭裁判所に離婚調停事件を申立て該調停事件は昭和三七年四月一三日に調停成立し、昭和三七年五月二日名古屋市昭和区役所にその届出をし申立人は婚姻前の氏である「藤山」に復氏したものである。申立人は岡本一郎と婚姻した当時より小学校教員をしており今日も又春日井市立○○中学校に教員として奉職している関係上公文書では復氏の「藤山」を使用しているが同僚や生徒間では旧姓の「岡本」で呼ばれている。申立人としては永年「岡本」と呼ばれ多数の教え子も岡本先生として慕われ、申立人の子供達も旧姓に変更することを願つているので生徒達に「藤山」に復氏したことの事情を説明することは教師として教育上等に悪影響を及ぼすことを思い苦慮している現状である。したがつて現実の氏と公式上の氏とが相違していることは社会生活上重大な支障を与え社会通念上不当と信じ氏変更のやむを得ない事由に該当するというべく本申立に及んだというのである。

人の氏は血族姻族のつながりを示し、且つ名と相まち個人を識別するものとして社会生活上重要なものであるから、これを変更するには戸籍法第一〇七条により「やむを得ない事由」がなければならない。これは名を変更する場合に比し極めてきびしい制限があり、当事者の主観的な理由ばかりでなく客観的にも真にやむを得ない場合に限るのである。

本件申立において、申立人が申立外岡本一郎と離婚し、新戸籍を編製し父母の氏「藤山」に復した以後も、教え子、同僚その他に対し旧姓「岡本」を称しており、いまさら家庭内の問題を知られたくない、という心情は察せられないことはないけれども、離婚による復氏の制度は民法第七六七条による離婚の効果として強行せられるものであつて、配偶者の一方の死亡による婚姻解消の場合のように、生存配偶者が復氏するか否かの自由を有する規定(民法第七五一・七二八条)のない本件の場合はこれを同一に論ずることはできない。近時生存離婚の場合も婚姻前の氏に復することは強制すべきではなく、殊に離婚が相手方の強制又は一方的に止むなく行なわれたような場合は、そのために希望もしない復氏をしなければならないのは、その者にとつて極めて過酷である、という有力な理論が唱えられているが、立法論としては格別、氏変更手続においてこれを採り上げることは、現時法制下ではにわかに賛同しがたい。

よつて申立人の本件申立理由を考えてみるに、復氏制度を否定する理論はこれを採り得ないことは上記のとおりであり、その他の申立人の主張は個人的、主観的の考え方が濃厚で、真にやむを得ない事由とは認めることはできない。

更に申立人は昭和三七年四月一三日離婚後も通称として「岡本」の氏を称しているからというが通称の使用は法の禁ずるところではないから自由であるが、未だ一年一〇月余を経過したにすぎない現在では(婚姻中に岡本姓を称していたのは通称ではない)これをもつて通称の氏を永年使用したとは到底認められず、従つて改氏のためやむを得ない事由ありということはできない。

以上いずれよりするも、本件申立の理由は戸籍法第一〇七条にいう氏の変更につきやむを得ない事由には該当しないものと云わざるを得ない。

よつて、本件申立はその理由がないものと認め主文のとおり審判する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例